※この日記の放送は、こちらからお聴きいただけます。
#22 圓照寺 平将門公の鎧は、ここに?! 鎧神社の別当寺、圓照寺さんへ! (MBS2020年11月15日OA分)
#23 圓照寺 その2 平将門公、鎧の謎が解けた! (MBS2020年11月22日OA分)
平将門公 北斗七星伝説の旅。
北斗七星伝説とは、『平将門公ゆかりの社寺などを線で結ぶと、北斗七星の形になる』というもの。
今回は、鎧神社さんの別当寺である圓照寺さんへ向かいました。
というのも、江戸時代までは神仏習合により、鎧神社さんを管理していたのは別当寺である圓照寺さんなんですよね。そう考えるとですよ、もしや!!!
鎧の秘密は、圓照寺さんにあったりして~!!!!
なぁんて夢を抱きつつ、向かうことにしました。
さて、大久保駅で下車。
別当寺ということは、鎧神社の近くにあるということ。
江戸名所図会にも、ほら。二つは、非常に近いところにあります。
出典:江戸名所図会
ね?近いでしょ!
だから今回は、迷わずに行けるはず~!!!
と思いきや、今回も珍道中。
なんと、いきなりハプニングが!!!
カバンのハンドルが、ぶっち~~~~~~ん!!!
な、なんじゃショット
というとで、いきなりここで、な、なんじゃショットですよ。
見てやってください。
ぎゃ~~~~~っっっ!!!!!!
ひどすぎません?
いきなり『ブチーン!』と切れてしまったんですよ。
トホホホホ。
仕方がない。
こうなったら、人通りの多い大久保通りを、カバンを抱きかかえて歩くしかない。
ええ。そうですとも。
ちぎれたカバンを抱きかかえて歩きましたとも!!!!!
そのまま圓照寺さんへ行きましたとも!!!!!
さて、気を取り直して、圓照寺さんへ。
圓照寺さんは、大久保駅から徒歩8分の所にあります。
てくてく歩いていくと・・・
お。ここは、鎧神社さんの近くだ。
この道を、右に曲がれば鎧神社さん。
真っすぐ行けば圓照寺さん。
やっぱり、鎧神社さんと圓照寺さんは、こんな近いところにあるのね~。
真っすぐ行けば、あっという間に右手に圓照寺さんを発見。
新しくて、とっても綺麗な神社。
でも、『新しい』ということは、やっぱりこちらも、戦争で焼けてしまったってことなんだろうなぁ。。。
悲しいね。
中に入ると・・・
ど真ん中に、りっぱなしだれ桜。
それをグルっと囲むように参道があって、御本堂へ。
とっても静かな境内です。
ここまでが、ななたびの#22。
さぁ!ここからは、#23のななたび日記です。
副住職の篠山昌弘(しょうこう)さんにお話をお伺いしました。
お若い副住職さん。
カッコイイです!!!
六車:ズバリ、鎧はありますか???
篠山さん:残念ながら、鎧はもう、こちらにはございません。
六車:え!? 『もう無い』ということは、かつては鎧があったのですか!?!
篠山さん:圓照寺は、平将門公を討伐した藤原秀郷(ひでさと)という武将が建てたお寺で、裏にある鎧神社には、討伐した将門公が悪霊になって、悪いことをしないように、神様と崇めるために鎧を祀って神社にしたといわれています。
えぇ~~~~~~!?!?!
そうだったの!?!
鎧に関しては諸説が色々とあり、他の説も読んでいたので、このお話にビックリ!!!
では、まずは圓照寺さんの成り立ちから順に、しっかりとお伺いしていこう!
篠山さんによると・・・
圓照寺さんが建てられたのは、平安時代の醍醐天皇の時代(897~929年)頃。
理源大師(りげんだいし)の法弟(※お弟子さんのこと)で、貞崇僧都(じょうそうそうず)という僧侶が、柏木村(※今の圓照寺さんのある地域)に小さなお堂を建てて、
行基(ぎょうき)という高僧が作った木彫りの薬師如来を安置し、奉ったことが始まりだそう。
六車:もともと柏木村辺りには、何も無かったのですか?
篠山さん:そうですね。もともとこの地には特に何もありませんでしたが、行基さんがあちこちへ布教してまわったとき、祠を建てて木彫りの仏様を安置していったことが始まりと言われています。
六車:なるほど~。はじまりは『布教』だったのですね!!! で、布教で始まった『小さな祠』から今の圓照寺さんになったのは、冒頭で仰った『藤原秀郷』さんがきっかけということですね。
篠山さん:そうですね。平将門公が関東で『新皇』と名乗ったことにより、京から『朝敵』にされてしまいます。その時、京でとても有名だった武将・藤原秀郷さんが任命され関東に向かうわけですが、その途中、言い伝えによると、どこか怪我をしてしまいます。
するとその夜、夢枕に薬師如来がたち、
『あなたの怪我をしっかり治してあげましょう。その代わり、無事に平将門を討伐した折には、柏木村に小さな祠があり、私・薬師如来が安置されています。そこに、お寺を建てるように。』
と夢で言われ、それが圓照寺のルーツになっているといわれています。
えぇぇぇぇぇ!?!?!
すごい!!!!!
でも、実はこれに関しても諸説色々とあり、私が読んだもののいくつかは、
『平将門公を討伐した後、怨霊となった将門公に呪われて体調を崩し、そこに薬師如来が出てきて・・・』
とあったけど、、、
圓照寺さんの由緒だと、まったく逆だっ!!!!!!
そうかぁ。おもしろいなぁ。
しかし考えてみると、この説も非常に納得できる。
なぜなら、昔はほんの小さな怪我でも、破傷風のように死に至ることもあったわけだよね。それが、ましてや朝廷から一世一代の『命』を受けて戦いに向かい、ここ大一番の舞台を前に怪我をしてしまったら、、、?夢枕に、薬師如来が出てくるほどの心境になることは理解できるよね。
六車:しかも、この時の藤原秀郷さんって、けっこうご高齢でしたよね?
篠山さん:そうですね。当時にしては、高齢だったと思います。実は、藤原秀郷さんもかなり伝説の武将として知られ、たとえば大ムカデを倒した伝説ですとか・・・
六車:俵藤太(たわらのとうた)だ!
篠山さん:そうですね。俵藤太のモデルが藤原秀郷ということですので、かなりの実戦や戦績を積まれて、『伝説の武将』として朝廷から命を受け、軍を率いて戦ったということなので・・・
そうか。そうだよね。そりゃあ、それだけの命を背負って軍を率い、その道中に怪我をしたら、
夢か妄想か??? そこのところはわからないけれど、藁にもすがる心境になるのは、わかるわぁ。
六車:で、実際に怪我も治り、無事に将門公を討伐した後、お礼の気持ちを込めて圓照寺さんを建てたと・・・?
篠山さん:そういうことになります。
そうかぁ。。。
すごい話だなぁ。
六車:そして、鎧に関しては、無念な思いで亡くなったであろう平将門公が、怖い怨霊にならないために、祀ったと・・・?
篠山さん:そうですね。昔から日本の神道の考え方では、非業の死を遂げたり、辛い思いをして亡くなった方を、その後、怨霊にならないように、『神様』として神社に祀るという考え方があります。たとえば菅原道真公や安倍晴明さん、早良親王などもそうですね。
六車:なるほど。ということは、圓照寺さんを建ててすぐに、鎧をお祀りして成仏していただこうと・・・?
篠山さん:そうですね。
六車:ということは、鎧神社さんも藤原秀郷さんが建てたのかな?
篠山さん:いや、それはちょっと記録に残ってないのですが、それはないと思います(笑)
そうか(;^ω^)
六車:鎧を祀ってその後、将門公の祟りは、この辺りではどうでしたか?
篠山さん:お寺の言い伝えでは、そのような祟りはありませんね。
六車:ではお祀りされたことによって、将門公はこの地域では心地よくいらっしゃったのかもしれませんね。
篠山さん:この地域は、鎧が守ってくれたのだと思っております。
いやぁ~。すごいお話。
おもしろいなぁ。
六車:で、藤原秀郷さんは圓照寺さんを建てた後、京に戻られた?
篠山さん:そうですね。藤原秀郷さんは色々と言い伝えがありますが。。。京に戻った後、源義経さんが頼朝さんから『朝敵』とされ、追われているときに最後まで守ったといわれています。
六車:へぇぇぇ。色んな有名なお話が、繋がっていきますね~!!!
いやぁ。本当におもしろい。
平将門公の鎧にまつわるお話は色々とありますが、私の個人的な意見としては、
今回の圓照寺さんの説が一番納得いきました!!!
というのが、最近こちらの本を読んだのですが・・・。
民族学者である小松和彦氏の『神になった日本人』。
日本の神さまは、『そのお姿が見えないからこそ』というものなのに、
実在した人間が神として祀られるというのは、どういうことなのだろう???
そこに疑問を持ったことがきっかけで、将門公にハマった私。
この御本は、まさにそのことに関してわかりやすく書いてあり、非常におもしろいのですが、御本の一番初めに書いてあるのが、、、
小松さんが民俗学の勉強を始めたばかりの頃、あちこちの村落をまわっているうちに、
『若宮様(わかみやさま)』と呼ばれる祠に出会ったそうです。
最初は単純に、『若宮様だから、若くして亡くなった方の霊が祀られているのかなぁ』と思っていたそうですが、やがてそうではないことがわかりました。
若宮様とは、
『非業の死を遂げた人たちが、怨霊となって祟りを起こさないように、神さまとして祀り上げたもの』
だったのです。
本編で篠山さんも仰ってましたし、神田明神さんの回では禰宜の岸川さんも仰っていましたが、昔から日本は、非業の死や無念の死を遂げた人を、怨霊にならないように神様として祀ることで、その魂を鎮めるという風習があったんですよね。
とするならば、『新皇』と名乗り、『これから!!!』という矢先に、無念を死を遂げてしまった平将門公を、怨霊にならないように鎧をお祀りして神様に・・・というのは、メチャクチャ納得できる!!!
鎧神社さんから始まった、鎧の謎。
私は今回、めちゃくちゃスッキリしました!!!
皆さんは、いかがでしたか?
さて、来週の『ななたび!』。
平将門公を討伐した側の藤原秀郷さんが建てた圓照寺にお生まれになった、副住職の篠山さんの思いを伺っています。
これがね、見悶えるほどに、すごいお話でした。
どうぞどうぞ、ご期待くださいね。
※この日記の放送は、こちらからお聴きいただけます。
#22圓照寺 平将門公の鎧は、ここに?! 鎧神社の別当寺、圓照寺さんへ! (MBS2020年11月15日OA分)
#23圓照寺 その2 平将門公、鎧の謎が解けた! (MBS2020年11月22日OA分)