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9月の『ななたび!』は、神田明神さん。
さぁ今週は、平将門さんについて、さらにマニアックに
禰宜の岸川雅範さんにご案内していただきますよ~!
六車:将門さんの首塚にお参りに行くと、どんなお願い事でも叶えてくれると聞いたのですが、本当ですか?
岸川さん:そうですね。将門公の性格は、非常に義理人情に厚い方。敵を捕虜として捕まえても女性をすぐ開放したり、敵を包囲しても一か所だけ逃げ道を用意あげたりと。
六車:え!?!めっちゃ優しくないですか???
岸川さん:将門公は、そういう方です。あとは武士の先駆者なので、感情の起伏も激しいとは言われていますが。そのあたりは、『将門紀』というものに書かれています。
将門記(神田神社資料館にて、岸川さん立会いのもと撮影)
六車:へぇぇぇ。知らなかった!!!では、岸川さんからすると、
『将門公なら、懐に入ってきた人がいれば、願い事をきいてくださるだろうなぁ』と思いますか?
岸川さん:そうですね。『将門紀』なども全部読みましたが、やはりそういう方です。ですから今もなお、『明神さまは将門公だ』という方も沢山おられますし、あとは『たたり神』として、全国各地に伝説がたくさん残っているんですよね。それっていうのは、将門公の力が非常に強いということを伝えたいがためだったんじゃないかと思うんですよね。
なるほど~。
そうかぁ。人情に厚く、素朴で、感情の起伏が激しい人。
カッコイイわぁ~~~~~。
では、ステキな将門様がいらっしゃるご本殿へ、お参りに行こう!!!
ご本殿には、
一之宮・・・大己貴命(おおなむちのみこと)。だいこく様。縁結びの神様。
二之宮・・・少彦名命(すくなひこなのみこと)。えびす様。商売繁昌の神様。
三之宮・・・平将門命(たいらのまさかどのみこと)。まさかど様。除災厄除の神様。
がいらっしゃいます。
ご本殿に向かう途中、岸川さんが非常に興味深いお話をしてくださいました!
岸川さん:日本の神さまは、菅原道真公や平将門公だけではなく、
たたる存在なんです。
六車:たたる・・・存在???
つまり、こういうこと。
岸川さん曰く、神さまは『めぐみ』と『たたり』をお持ちなのです。
たとえば、『雷』は怖いですよね。私たち人間を、死に追いやったりもします。
この『かみなり』とは、『神が成る』つまり『神がいる』ということ。これは、神様の怖い部分。
一方、雨が降ると、稲作文化の日本にとっては豊作をもたらしてくれる。
そうなると『いなづま』という名前になる。これは『稲の妻』。つまり『めぐみ』の部分ということ。
ようするに神様の『めぐみ』や『たたり』は、人間が勝手に決めているだけで、
神様のお力は、一貫して何も変わっていません。
つまり神様の力が、
人間にとって都合の良い場合は『めぐみ』、
人間にとって都合の悪い場合が『たたり』
ということ。
いずれにせよ、
神さまのお力が強ければ強いほど『めぐみ』もすごいし、『たたり』も激しい。
ということだそうです。
めちゃめちゃ面白すぎる~!!!!!
この捉え方は、初めてだ..
でも、凄く納得できる!!!
アワワと大興奮している間に、ご本殿に到着しました。
二礼二拍手一礼をしてお参り。
いやぁ。。。
岸川さんのお話がおもしろすぎる!!!!!
実は岸川さん、私よりも年下なのです。がびーん。
年下とは思えない知識の豊富さ。お話の面白さ。
もっともっと、お話を聴きたい!!!
ということで、神田明神さんのご本殿すぐ側にある資料館へ。
英雄?反逆者?
平将門さんは、反逆者と言われる一方で、ヒーローでもある。
よく言われるのは、『東と西で、イメージが全然違う』ということ。
京都生まれ京都育ちの私は、『平将門の乱』の将門さんは前者のイメージでした。
しかしながら神田明神さんをお参りするにあたり色々調べてみると、
おや?どうも違うぞ。
と思い、さらに今回、岸川さんから将門さんのお話を聞くと、もっとイメージが変わりました。
歴史は、住む地域や環境によって、捉え方が大きく変わるものだと改めて思いました。
現に、平将門さんの印象は、
海外・・・ファースト侍
京都や関西、三重県など・・・反逆者、朝敵
関東・・・英雄、義理人情に厚い、江戸っ子のルーツ
と、いろいろなイメージがあります。
とはいえ、これはあくまでイメージであって、
関西の人がみな、『反逆者』と思っているわけではないし、
関東の人がみな、『英雄』だと思っているわけでもない。
人それぞれ。
神田明神さんでは、神さまとしてお祀りしているので、御神徳のある方としてご紹介されています。
菅原道真の生まれ変わり?
実は今回、いろいろ調べているうちに、面白いものを見つけました。
平将門は、菅原道真の生まれ変わり?
というのも、菅原道真公が亡くなった903年に、平将門さんが生まれているとか。
これって、岸川さんはどう思われるのだろう?
岸川さん:歴史上は、将門公が生まれた年は不明なんです。ですから歴史的な伝説と言えるのではないかと思います。『将門記』を読んでいると、新皇になる際に、八幡様とその使者として菅原道真公が出てくるんですね。そこはたぶん、伝説的な部分だとは思いますが、、、。
知りたい歴史は、記録が残っていないものです(笑)
そうか~。
そういうことなのか~。
でも、もし本当にそうだとしたら、壮大なロマンだ!!!!!
ここで、岸川さんが非常に興味深いお話をしてくださいました。
神田明神の先代の宮司は大鳥居 信史さんという方で、今は名誉宮司なのですが、
大鳥居家は、亀戸天神の世襲の社家(宮司家)だそう。
もともと大鳥居家は、太宰府天満宮からきていて、そのルーツを辿ると、
なんと菅原道真公の子孫にあたるそうなんです!!!
つまり、
菅原道真公の子孫すじに当たる人が、神田明神で宮司として平将門命をお祀りしている。
ということ。
凄すぎる!!!
運命なのか、奇遇なのか。
いや、これは運命だ!!!
私としては、運命であってほしい!!!
私にとって歴史とはロマンだもの。
もし本当にそうだったら、凄いことだなぁ。。。
平将門は、朝敵ではない!
明治に入り、国定教科書に『将門公が朝敵』と掲載されるようになります。
ところが、
「将門公は朝敵ではない。天皇のまわりにいる貴族たちが、将門公と争ったんだ。」
と言った人がいます。
それが、織田完之(おだかんし)という人。
織田完之さんは、映画『帝都物語』にも出てきますが、平将門さんの研究者として名高い人。
将門塚を『これは将門公のお墓です』と、現在のように整備した形で将門塚を作ったのが、この方なのです。
織田完之さんが記した、こちらの著書『平将門故蹟考』。
織田完之『平将門故蹟考』(神田神社資料館にて、岸川さん立会いのもと撮影)
実は、将門公がいつ生まれたかなども、この本が原本になっているそうで、
この本を読んで、荒俣宏さんは『帝都物語』を作ったそうです。
いやぁ~。
これだけ時が流れても、歌舞伎やたたり神など、
未だにあちこちでその名が出てくる平将門さんは、
やはり凄い人、そして凄いパワーを持った人なんだなぁ。
岸川さん:そうですね。そして『怖がられる』ということも大切ですよね。僕は、『恐れられる』のは良いことだと思います。
六車:確かに。怖いものがないって、逆に怖いですよね。
岸川さん:そうですね。僕たちも祝詞で『かしこみ かしこみ (恐れながら)』と言い方をしますから。
なるほど~。
この『恐れる』から、今度は『神様へのお願い』に話が移りました。
『何も起こらないように』というお願い
六車:神社でお参りをするときは、お願い事をするのではなく、『ありがとうございます』だけ言いなさいと言われたことがあります。
岸川さん:そうですね。積極的なお願いよりも、『何も起こらないように』というお願いが一番良いですね。
これもやはり、神様の『たたり』からきているそうで、
歴史的には『神さまにたたられないようにお祀りをしている』というお祀りが、非常に多くあるそうです。
つまり
『家内安全』
『身体健全』
というのは、何事も起こらないから、家内が安全であり、身体が健全だということ。
この日常が、何事もなく生きていけることが幸せだということに気づければ、
それは感謝にも繋がりますよね。
いや~。本当に面白いお話でした。
岸川さん、ありがとうございました。
来週は、進化を続ける神田明神さんのお話です。
どうぞお楽しみに!
#12 神田明神その1は、こちらからご覧いただけます。