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MBSラジオ『ななたび!』日記 #12 神田明神その1 平将門さんの首塚伝説  (MBS2020年9月6日OA分)

※この日記の放送は、こちらからお聴きいただけます。

 

9月の『ななたび!』は、神田明神さん。
実は、我が家は神田明神さんと平将門さんの首塚を、よくお参りさせていただいております。

そのきっかけは、夫でした。
詳しくは、ラジオを聴いてね。
それが、今回の旅の理由です。

 

ということで、平将門さんにまつわるお話をとにかく聞きたくて
ワクワクしながら神田明神さんへ。

東京駅からJR中央線に乗り換えて、御茶ノ水駅へ。
5分ほどで着きます!

御茶ノ水駅もすごい人!
聖橋口を出ると・・・

5分ちょっとで神田明神(神田神社)さんに到着!!!

立派な隨神門をくぐり抜けて、

まずは、御社殿(国登録有形文化財)にご挨拶。

ここからは、禰宜岸川雅範さんにご案内していただきました!

岸川さんは、神田明神さんの広報の方なのですが、
神道学(しんとうがく)の博士でもいらっしゃいます!!!
なので、とにかくお話が面白すぎるのです~!!!!!

さて、神田明神さんは3柱の御祭神がいらっしゃいます。

一之宮・・・大己貴命(おおなむちのみこと)。だいこく様。縁結びの神様。
二之宮・・・少彦名命(すくなひこなのみこと)。えびす様。商売繁昌の神様。
三之宮・・・平将門命(たいらのまさかどのみこと)。まさかど様。除災厄除の神様。

そう!三之宮の平将門命とは、平将門さんのこと。
神様の時は『平将門公(たいらのまさかどこう)』とは言わず、
平将門命(たいらのまさかどのみこと)』と呼ぶそうです。


出典:神田明神

私がまず聞きたかったのは、人間が神さまとして祀られているということ。

 

六車:実在した人間が『神』として祀られるって、すごいことじゃないですか?

岸川さん:そうですね。でも、日本全国ご覧いただくと、たとえば

 ・日光東照宮の徳川家康公
 ・武田神社の武田信玄公
 ・上杉神社の上杉謙信公
 ・北野天満宮の菅原道真公

こうしてみると、人間を神様としてお祀りしている神社は結構あるんですよね。

六車:ホントだ!!!たしかに~!!!

 

でも、もともとは神田明神さんに平将門命はお祀りされていませんでした。
そのきっかけとなったのが、平将門の乱です。

 

神田明神と平将門公

天平2年(730年・奈良時代)に、出雲氏族の真神田(まかんだ)さんという人が、ご先祖様をお祀りするために、東京都千代田区大手町にお社を作ります。これが、神田神社の始まり。
実は、真神田さんは、だいこく様の子孫なのです!
この時点で、すでに凄い。

 

時は流れ、平安時代の中期になって平将門の乱が起こります。
そこで聞きたかったのが、こちら!

 

六車:平将門の乱では、平将門さんは額を矢で撃ち抜かれて亡くなってしまいますが、京都七条の河原でさらし首にされてしまったところ、首が飛んで行ったとか。。。
このお話、神田明神さんとしては、どのように捉えていますか?

岸川さん:神田明神の由緒で言うと、さらされた首を一族の人間が将門塚まで持って帰って葬ったという記録が残っています。

 

なるほど!
それが最も合点のいく話だ!
『首が飛んでいく』なんて、信じがたいものね。

岸川さんによると、平家物語、太平記から始まって、
『将門公の首がさらされているのに全然死なない』とか、
『将門公の首が江戸を目指して飛んで行った』という話が、
江戸時代以降辺りからの伝説として生まれてくるそうです。

つまり、それだけ将門公の力が非常に強いということを象徴させるために作られた話で、それがいつのまにか現実として捉えられるようになったのではということ。

「伝説と現実って、ごちゃ混ぜになってしまうものですから。」

と、岸川さん。

 

なるほどなぁ。
それにしても、伝説と現実がごちゃ混ぜになってしまうというのは、面白い。
全くその通りだ。

 

六車:『たたり』に関しても、実際に記録は残っていますか?

岸川さん:はい。江戸時代から残っているものでいうと、
将門公のお墓を作った後、鎌倉時代くらいに疫病が流行ります。
これが将門公のたたりとして恐れられ、それがきっかけで神田明神にお祀りされることになります。

六車:どうして神田明神さんだったんですか?

岸川さん:近くにあったからだと思います。

 

えぇっ!?!そんな理由?
近くにあったから、たまたま神田明神さんだったの!?

いや、待てよ。
でも考えてみれば、何か良くないことが続いたときは、その近くの神社に救いを求めるのは自然の流れかも。

岸川さん:あとは、おそらく将門塚(首塚)を作ったのは、江戸氏という将門公の子孫すじに当たる一族だったので、江戸氏が神田神社を崇敬していた可能性はありますが、、、。歴史には出てきていないので、何とも言えません。

 

なるほど。
諸説は色々あるかもしれませんが、こうして平将門さんは神田明神さんにお祀りされるようになりました。

 

六車:神田明神さんにお祀りされるようになって、疫病などはおさまったのですか?

岸川さん:はい。おさまりました。

 

おぉぉぉぉぉ。すごい!
なんか、いろんな話が凄すぎる!!!

 

この地域は、そもそも何かしら凄いパワーがあるのかも。
だって、だいこく様の子孫に当たる方が、この土地にお社を作ろうと思ったわけだし、
平将門さんの首塚も、やはりこの地域に作ろうと思ったわけだし、
実際に現在、この辺りには皇居もあるわけだし。

 

神田明神さんは、江戸の総鎮守
岸川さんに神田明神さんの歴史や平将門さんのお話を教えていただき、
なぜ神田明神さんには、こんなにもとてつもないパワーがあるのか、
その理由がよくわかりました。

つまり、

凄いパワーの土地に、
凄い人たち、凄い神様たちが集まって、
凄いことになっている!!!

これが、神田明神さん。
私なりの解釈だけど。

 

 

来週は、私がラジオのオープニングでお話した、

『平将門さんは、首塚にきちんとお参りに来る人、つまり懐に入ってきた人に対しては、どんなお願い事でも聞いてくださる。』

という噂について、岸川さんにお伺いします!

めちゃくちゃ面白いので、思いっっっっっきり、ご期待ください!

 

 

※この日記の放送は、こちらからお聴きいただけます。

※『ななたび!』日記
#10 川崎大師その3は、こちらからご覧いただけます。

 

≪参考≫

神田明神 公式HP

 

 

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